お盆にきちんと休みが取れたのは数年ぶりだったので、お墓参りに行ってきました。母方のお墓は、横浜に住んだことのない人がイメージする横浜、「赤レンガ倉庫」「ベイブリッジ」「中華街」などの湾岸エリアの「中区」とはかけ離れた「栄区」というマニアックな区にあります。「横浜駅」「ランドマークタワー」「みなとみらい地区」などの横浜最大の商業エリアがある「西区」に次いで人口の少ないのが「栄区」です。鎌倉市に接しており、古くから農業が盛んで、18区ある横浜の区の中で最も失業率の高いのも「栄区」です。
私の両親は、「栄区」から少し離れた区に住んでおりますが、それでも畑や雑木林があちこちにある区です。転勤の多い仕事をしていた父の仕事の都合もあり、私が「横浜」にしっかりと住んだのは、高校1年の9月から大学卒業までの約7年間だけです。
私は公立高校に通っていたので、転校する際には編入試験を受けて合格する必要がありました。そのタイミングは年に3回(春休み・夏休み・冬休み)だけです。ところが、転勤辞令は一般的に4月・10月となります。そこで長男である私は、家族より一足先に、9月より「横浜」に「転校」することになりました。
当時は「一人暮らし」を許可してくれる公立高校などありませんでしたので、一緒に住んでくれる「保護者」が必要です。それが、母方の祖父母でした。私は彼らにとって初孫に当たるので、とても可愛がられました。祖父母が住んでいたのは、TVなどでも良く取り上げられる「洪福寺松原商店街」からほど近い場所でした。高校の同級生の1人は、現在でも店主をやっています。
ところがすべては順調ではないですよね。4月に新規入学して、新しい友人、新しいグループが出来上がった所に9月から参加した私は、馴染むのに苦労しました。そこで、学校にも両親にも内緒でアルバイトを始めることにしました。2015年にリニューアルされてなくなってしまった「横浜駅西口」にあった「ダイヤモンド地下街」の一番隅っこの方にあった「喫茶店」です。「仲間作り」と「お小遣い稼ぎ」が目的だったので給料は安くても良かったのです。時給は750円だったのを今でも覚えています。私の記憶なので確かではありませんが、「ダイヤモンド地下街」は酒類提供のお店が少なく、20:30閉店で21時にはシャッターが下りていたと思います。なので祖父母には部活で遅くなったと言い訳して、アルバイトが可能だったのです。
父の転勤辞令が遅れたため、結果的に半年程度の祖父母との「同居」と「喫茶店」でのアルバイトをしました。その祖父母も既に他界し、アルバイト仲間との交流も既に絶たれてしまいました。それでも「横浜」は、私の「青春」の1ページです。